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【アラベスク】  第16章 カカオ革命



第3節 待ち伏せする日 [7]




 声を掛けられても、一度は無視した。
 聞き間違いだ。
「あのっ」
 少し強められた口調。仕方なく立ち止まる。振り返ろうとするところを、相手の方から正面にまわってきた。思わず、目を見張った。瑠駆真が何かを発する前に、相手はズイッと差し出してくる。
「これ」
 真っ赤な包装紙に包まれた長方形の箱。
 呆気に取られた。
「何?」
 言ってから、愚問だったかと後悔する。今日はバレンタインだ。いや、すでに日付は変わっているから、正式には昨日。
 無言で箱を差し出す相手に、瑠駆真はやや呆れ、やや面喰う。
「僕に?」
「はい」
「どうして?」
 どう見ても、バレンタインというイベントに女性が男性へ突き出すチョコレートだ。金本(かねもと)(ゆら)がなぜ自分にこのような物を差し出してくるのか、全く理解ができない。こういうものは、好意を寄せる相手に贈るものなのではないのか? しかもこんな真夜中に。
 戸惑うだけで受け取ろうとはしない相手に、緩は俯けていた頭を少しあげる。
「こんな深夜にすみません」
「僕を待っていたのか?」
「はい」
「こんな時間に出てくる事、よくわかったね」
「それは」
 緩は一瞬躊躇(ためら)う。
「前に、廿楽(つづら)先輩に指示されて調べていた事がありましたから」
「あぁ そうか。君は彼女の手先だったね。それにしても、こんな時間によく家を抜け出せてこれたね」
「それは」
 微かに瞳を泳がせる緩。
 父は仕事に忙しく、夜の子供部屋になどは顔は出さないし、義母は義理の娘との関係を良好に保ちたいのか、過度な干渉はしないようにしているようだ。使用人は通いなので、この時間はもういない。
「簡単に抜け出せるというワケではありませんが」
 言葉を濁す相手に、瑠駆真は大した興味も示さなかった。それよりも
「じゃあひょっとして、僕がよくこの時間帯にコンビニへ行く事、小童谷(ひじや)にも話した?」
「え? 小童谷先輩?」
 目を丸くして顔をあげる相手。瑠駆真は視線を逸らす。
「いや、いい。なんでもない」
 以前、小童谷と深夜に出会ったことがある。今は病室のベッドの上で、明日をも知れない容態のまま眠っている少年。
 僕には関係ない。
 コンビニの袋をギュッと握り、努めて無表情を保ったまま、改めて箱へと視線を向ける。
「で? どうしてこんな深夜に? しかも、こんなモノを?」
 袋を右手から左手に持ち替え、空いた右手でチョンッと指差す。
「こういうモノは、好きな相手に贈るものでしょ?」
 ドクンッと心臓が跳ねる。震えそうになる全身を必死に整え、ゆっくりと口を開く。
「お礼、です」
「礼?」
「はい」
「何の?」
「以前、校舎の脇で、他の女子生徒たちに絡まれているところを、助けてくださいました」
「あぁ」
「それに、その前には義兄(あに)からも」
「義兄? 聡の事?」
 こちらは思い出せない。首を傾げる瑠駆真に、緩は忙しく瞬く。
「あの、裏庭で、義兄に罵倒された時」
「罵倒? 君が? 聡に?」
「覚えていませんか?」
 焦るような感情を、必死に押し込める。
「あの、私がストラップを落して、それを義兄が馬鹿にして、それで」
 思い出すだけでも頬が紅潮する。それは、義兄に馬鹿にされた悔しさからかもしれないし、あのストラップを他人に見られたという恥かしさからかもしれない。
「ストラップ?」
 それでもしばらく思案していた瑠駆真は、ようやく思い出したかのように小さく声をあげた。
「あの時の事か」
 言いながら、呆れたように相手を見下ろした。
「あんな昔の事、よく覚えていたね」
「忘れたりはしません。助けていただいたのですから」
「助けた覚えはないよ」
 無感情に答える。
「助けたつもりはないと、あの時も言ったはずだ」
「でも、助かった事実には変わりありません」
 そう言って、ズイッと箱を突き出す。
「いつか、ちゃんとお礼はしなければならないとは思っていました」
「それで、コレ?」
 今度は怪訝そうに首を傾げる。
「コレ、チョコだよね?」
「西洋などでは、男女を問わず親しい方へ、日頃の感謝の気持ちを込めて贈り物をする日です。恋のイベントと化しているのは、日本やアジアの一部の国くらいです」
「ここは日本だよ」
 素っ気無く返す相手に、それでも緩は食い下がる。
 こんなところで負けるワケにはいかない。
「私は、ただ山脇先輩にお礼がしたいだけなんです」
 そうだ、純粋なる感謝の気持ちだ。他の女子生徒たちのように、くだらない下心など、潜ませてはいない。
「二度も助けていただいたのですから」
「だからお礼? こんな夜更けに?」
「それは」
 答えようとして息を吸う。真冬の冷気が胸に苦しい。噎せそうになって、なんとか堪える。
「本当はもっと明るい時間にお渡しできればよかったのです。でも先輩の周囲は朝からとても賑やかで」
 瑠駆真は思わず苦笑する。確かに、朝から大変だった。チョコを手にする女子生徒に囲まれっぱなしだった。
「だから、とても下級生の私が声を掛けるタイミングなど無くて」
「なるほどね。それでこんなところで待ち伏せってワケか」
 周囲を見渡す。閑静な場所だ。外灯も少なく、薄暗い。しかも今は二月。寒さが身体を芯まで冷やす。最近では物騒な事件も多い。とてもお勧めできる手法とは言えない。
「僕は、必ずこの時間に外出するとは限らない。特に冬の夜は寒いからね。それをよく待ち伏せなんてしていたね。僕に会えなかったらどうするつもりだった?」
「明日も、待つつもりでした」
 そう、いつまでも待つつもり。いつまでも、いつまでも、瑠駆真先輩を邪悪な呪縛から解き放つまでは。
 それが今の私に課せられた使命。必ず先輩を助けてみせる。







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